尼崎城下絵図(元禄頃)を解説します

古い城下の西口の竹谷御門への付け替えが完了し、出屋敷(寛文9(1669)年完成)の町場もできている。また寛文10年ごろとみられる絵図に比べて、築地の地先の砂洲が発達していることから、それ以降の青山氏時代の城下絵図とみられる。さらに景観年次は、元禄8(1695)年に開設される魚市場や浜地の拡大がみられないことから、元禄前から元禄初年頃の城下の様子ではないかと考えられる。

上記の絵図からはこのようなことが読み解けるそうです。ちなみに貴布禰神社も、お寺がずらっと並ぶすぐお隣(現在の西桜木町付近)に鎮座しており、戸田氏鉄氏改築城の際に遷座した先であることがわかります。

それぞれの時代に絵図を書いた人は、後世にこのような比べ方をされるとは想像されていなかったでしょうが、書き残しておくことはとても大切ですね。いまなら写真でも大丈夫かもしれませんが、しっかり皆さんも記録に残しておきましょう!

2019-02-15 | Posted in お知らせ, 復活!尼崎城

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