尼崎城下絵図(寛延頃(1748~1751))を解説します
松平時代の城下を描いた絵図で、尼崎城の内部、武士・町人・社寺の敷地が色分けされ、身分によって居住区域が明確に区分けされていたことがわかる。また、町名のほか、白の堀幅や長さなどの情報も記載されている。大物の西教寺が再興されていること、別所村浜端が未開発であることから、享保末から元文(1733~40年)とも考えられる。
こちらの絵図は、今回築城された天守閣2階の尼崎城ゾーンのVRで使用されている。貴布禰神社の位置も現在の位置に遷座している。
無事に修理が終わった際は、何らかの形で披露できるよう努力しますね。お楽しみに!